2023年9月1日午後7時から文化センター・アリランにて鄭栄桓理事による「姜徳相先生の関東大震災研究について」と題する講演が催された。以下に講演要旨をまとめてみたい。
初代館長だった故・姜徳相先生の「時務の歴史」とは関東大震災時の朝鮮人虐殺を究明することであり、それは国会図書館でアメリカからの返還文書中の関東大震災の「公文備考」と出会うことから始まった。
1945年、解放直後に在日本朝鮮人連盟が主催し、関東大震災時の同胞「計画的大虐殺」を批判し、「軍閥と官憲の革命的勤労大衆に対する白色テロ」の責任者処罰を求めたが、この時点では朝鮮人と社会主義者との差異は意識されていなかった。
姜先生が研究を始めた頃(1961年)の定説は、松尾尊兊先生の朝鮮人を危険視する流言の原因が官憲の無責任な態度にあったとするものだった。しかし関東大震災40周年(1963年)に姜先生は史料の蒐集と批判を通じて戒厳令発布を9月1日夜半と推定し、発布のために朝鮮人にまつわる流言を利用したと結論づけ、 それを中公『関東大震災』(75年)に反映した。すなわち、日本政府は朝鮮人暴動がないことを確認しながら、国民の不満をそらすために他方で戒厳令を拡大し、だれ1人として虐殺の責任を問われた者はいなかった。
姜先生説に対し、松尾先生からは、日本政府が流言の内容を事実と勘違いしたのであり、諸悪の根源は帝国主義にありながらも、日本人民の弱小民族への差別意識による加害責任を問題視した。
これらの議論を経て、姜先生は、震災時の治安維持令(治安維持法の前身)が大正デモクラシーを圧殺し、その後の軍部台頭の序曲となったこと、日本国民の「不幸な朝鮮観」形成の血管となったと、結論づけた。中公『関東大震災』では三・一独立運動と震災時の朝鮮人虐殺の連続性を指摘し、さらにその後の研究の進捗により「当時の日本権力が植民地民衆の反乱を基本矛盾とした東アジアの革命、動乱を統一的に捉え」、「その脅威を背景とする「流言の官憲内発説」」であり、戒厳令が敷かれたのは9月2日午前7時から9時の間と推定した。当初は朝鮮虐殺、亀戸事件、大杉事件を三大テロとみなすことは、朝鮮人虐殺の差異を見誤ると批判していたが、事件が名分のない戒厳令下の虐殺であり、三大テロという段階があったと結論づけるに至った。
戒厳令と軍隊の役割を注視した姜先生の研究は、現在の軍事大国化と軍隊観のつながりをも予見するものであり、その歴史を視る慧眼にあらためて教えを受ける思いがする。しかし100年を迎えた時点でよもや虐殺正当化を主張したり、虐殺など無かったかのような、これほどまでの「歴史修正主義」が跋扈するとまでは思われただろうか。
姜先生の遺志を継ぐ研究、新たな資料発掘が後進によって進められることを念じざるを得ない。
(文責 宋連玉)

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